近況とか


10月10日

何しろ気の利いた話題など何もないものだから、毎回同じようなことを書いている気がします。でも今の私にとってそれほど切実な悩みなのです。

現在、私の女装生活における最大の問題は、体型の変化によって自分の思うような女装ができなくなってしまったこと。そして、女装をする気にもなれずにいることです。思いはあるのに、それを形に出来ずにいます。

これまで納得のいった写真はブログに載せてきましたが、今の姿をお見せする勇気はとてもありません。いっそ発想の転換で、哀れな女装子の末路としてそのリアルを公開するのもひとつのコンテンツになるのかもしれませんが、いくら落ちぶれたとはいえ、そこまでする気にはなれません
これが今、投稿が止まっている理由でもあります。

今はほとんど袖を通さなくなった洋服やコスプレ衣装が、捨てきれないまま、寂しそうにハンガーにかかっています。

好きな女装をふたたび楽しむためという、これ以上ないモチベーションがあるのだし、色とりどりのレオタードも手元にあるのだから、理想の体型を取り戻すために運動でも始めればいいのに...頭では分かっているのに、どうしても実行に移せずにいる毎日です。


10月1日

遠い昔、柄にもなく日記をつけてみようかと考えたことがありました。まあ結果は、わざわざ言うまでもありません。

月日は流れ、人に自慢できるようなことではないけれど、このブログの中で書き続けている近況報告が、結果的に今の私にとっての日記代わりになっています。

先日、過去の記事を少し読み返してみました。なるほどお粗末な内容ではありますが、よく考えてみれば、日頃あまり頭を使わない私が、拙いなりに一生懸命しぼり出した文章なのだと思うと、なんだか自分の健気さに涙が出そうになってしまいました。

作文は練習するほど上達するらしいですが、この4年間で効果が出ているかはよくわかりません。 何にせよ、私にとっては「頭を使っている」ということ自体が、何より素晴らしいことなので、これからも、できるだけ続けていきたいと思います。



9月20日

近年、大きな自然災害が各地で頻発していますが、それに伴って私の中に、密かな不安が膨らんでいきます。

私は普段から、状況が許す限りブラジャーやパンティ、パンストといった女性の下着を身に着けています。時には過激なデザインを選んだり、ローターを装着したまま外出することもあるのです。

そんな時、ふと頭をよぎるのは、「もし今ここで、巨大地震に遭遇して救急搬送されたらどうなるだろう」ということ。

恐ろしいのは、怪我の痛みではありません。救命処置のために服を脱がされた時の絶望感です。それは「いっそ◯んでいた方が良かった」と思うほどの恥ずかしさであり、その後の入院生活で味わうであろう居たたまれなさなのです。

取り返しのつかない事態になる前に、いっそやめるべきかと考えることもありますが、どうしても諦めきれません。この密かな趣味こそが、私にとって日々の癒やしになっているからです。

そうした不安を胸に抱えながら、この至福のひとときを今日も静かに楽しんでるのでした。


9月10日

今日の部屋での格好はというと、実は下着姿で、黒のTバックのパンティに黒のブラジャー、そして黒のタンクトップといった感じ。ノー スカートです。

最近はこんな格好をしても、わさわざ鏡の前に立って、うっとり酔いしれるようなことはなくなりました。ただ下着の着用感を楽しんでいる、そんな感じなのです。

けれどいま、少しだけ心境に変化が。ベッドの上で上半身を起こして、何気なく自分の身体に視線を落とした瞬間、黒いランジェリーが意外なほどセクシーに見えて、思わずハッとしてしまいました。

気になるお腹のでっぱりをキュッと引っ込めたら、ラインが引き締まってさらに良い感じ。思わずゾクッとするような、久しぶりに心地よい高揚感が駆け抜けました。

ただ、見る角度と光の加減が偶然に噛み合っただけ。それでも、まだまだ捨てたものじゃないかも! なんて復活へのわずかな希望に心を踊らせてしまいました。


9月1日

洗濯したパンティとブラジャーがハンガーに吊るされ、部屋の片隅にぶら下がっている。いつもの見慣れた光景だ。

ある日のこと、ベッドに寝転び、それをぼんやり眺めていたら、パンティの小さなほころびが目にとまった。お気に入りの一枚として過酷な使用に耐えてきた証し。そこからじわじわと滲み出るリアルな生活感がなんだか愛おしくて、しばらく見入ってしまった。
たまには日光に当ててあげたいけれど、ベランダに干すのは意外と勇気がいる。

最近ニュースで聞かなくなったけど、下着泥棒は今も暗躍しているのだろうか。

私は女性の下着が好きだし、使用済み下着にもそそられる。正直に言えば下着泥棒の気持ちはよくわかる。でも、さすがに盗んでまで手に入れようとは思わない。普通に考えてパンティ1枚に自分の人生は賭けられないだろう。変な性癖の持ち主だけど、実際のところ根は理性の塊なのだ。

今度、わざと外に干して下着泥棒を誘惑してみようかしら。まさか女装子の使い込んだパンツだとは思うまい。盗んだ後に鼻をこすりつけるなり、頭に被るなり、好きに狂えばいい。


8月20日

あれほど熱中していた女装に、すっかり飽きてしまった。でも決して嫌いになったわけじゃぁない。情熱メーターがついにゼロを指し、毎日無駄に時間を溶かしている。大袈裟に言えば、燃え尽き症候群ってやつだろうか。

他にやりたいこともなく、ベッドの上でゴロゴロとYouTubeを見て過ごす日々。何とか起き上がろうとするけれど、重力に抗うことさえ困難なのだ。

まさに干物女のような怠惰な状況であるが、ここはあえてポジティブに捉えるしかない。
今は次のフェーズに向けた充電期間なのだ。あの禰󠄀豆子のように眠ることで体力を回復し、思考をリセットしている最中なのだと。

でも、この長い眠りから覚めることなどあるのだろうか、自分でもさっぱり分からない。


8月10日

心を落ち着かせて少しでも涼を得ようと思うのだが、この煩悩のかたまりのような自分には、無理に決まっているし、かえって心の淫らな炎が熱く燃え上がるばかり。

相変わらず変化のない毎日だ。女装というか、女性の下着は日課のように欠かさず身につけているけれど、だからと言って別に興奮することもなく、パンティを眺めても、ブラジャーを手にしても、なんの感情もわかなくなってしまった。もはや女装子とは言えないかもしれない。ただの変態女性下着愛好者という感じ。

ブログに写る、燃えてた頃の自分を眺めつつ、今日も一日が終わります。


8月6日

8月4日から6日にかけて、Bloggerの規約違反という理由で、ブログの閲覧が停止されました。

早速、再審査を請求しましたところ、再開となった次第です。

今後につきましても、ブログの運営方針を大幅に変えることはしたくありません。なので、またいつ停止になるかわからない状態での運営となります。

ご迷惑をおかけしました。どうぞよろしくお願いします。


8月1日

こう暑いと、クーラーの効きもなんだかいまひとつ。出来るだけ部屋を冷やしたいけれど、直射日光が差し込む部屋はカーテンで遮光しても熱がこもってしまう。

ならば、服装だけでも何とかしようと、スカートもキャミソールも脱ぎ捨てて、シンプルにブラジャーとパンティだけの姿になる。

もうだいぶ前から、自分のそんな姿を鏡に映して確かめるようなことはしなくなった。下着を身につけている感覚さえあれば、それで十分満足なのだ。

ちなみに、このブラジャーも、正直、つけていれば鬱陶しいし、外してしまってもいいのだけれど、こればかりは女装子の性として譲れない。体が常にブラジャーを求めているし、このわずらわしさも女装の一部だと思っているから。

鏡を見ないとはいえ、それでもどうしたって自分の体の一部は目に入ってしまう。昔ならそんな眺めにもいちいち興奮したものだが、今では、はみ出た脇腹の、そのおぞましさに寒気すら覚えてしまうのだ。

まさに、この暑さを乗り切るにはうってつけだが、同時になんだか悲しさも込み上げてきてしまうのだった。


7月20日

ここのところ、折を見て着なくなった女物の服を処分しています。

最近は新しい服をほとんど買わなくなったこともあって、部屋に吊るしていた服が片付いて、ずいぶんとスッキリ! 

これまで何度、同じことを繰り返してきたことでしょう。

毎回、服を捨てる時は名残惜しく思ってしまうのですが、思い切って捨ててしまえば、後は案外どうということはないんですよね。

そして下着。特にパンティは数が多くて場所をとるので、こちらもまた整理したいと思っています。なぜか、いつの間にかまた増えているんです。

普段使い以外はタンスに仕舞い込んでいて目に入らないから、持ってないも同然だけど、それでも、ただ手元にあるというだけで嬉しいものです。コレクションって、そういうものですよね。

今どきパンティのコレクションなんて、と思われても仕方のないことですが、女装自体にはなんとなく飽きてしまっても、私のパンティ愛だけは、まだまだ止みそうもありません。


7月10日

お気に入りの曲、パッヘルベルの「カノン」を聴いていると、次第に心が穏やかになって、日頃の煩わしさとかもしばし忘れることができます。

私が感じるこの曲の世界観は、少し不思議なものです。全体が淡い色彩で、砂粒を蒔いたようにザラザラとした質感。中世的な石造りの建物が並ぶ街並み。そして、その空間全体がわずかに歪んで見えるのです。

そこはとても居心地が良い場所なのですが、周りを見回しても人の姿がありません。なんとなく生活の気配はあるのに、完全に自分ひとり。そんな感じです。(現在お気に入りで聞いている演奏から受けるイメージです)

いつもなら音楽を背景に、落ち着いて空間を漂っていられるのですが、今回に限って、なんだか急に寂しくなってしまって、すぐにでもここを出たくなり、慌てて曲を止めました。

カノンの世界から抜け出したら、少しだけ元気が欲しくなり、今度は「恋するフォーチュンクッキー」を聴いてみることに。この曲を聴いていると、元気になるというか、ああ、平和だなぁという温かい気持ちになれるので、こちらも好きな曲です。寂しさもいくらか和らぎました。

という、何の意味も結論もない、とりとめのない「ないない尽くし」のお話でした。(^^;)



☆記事は順次削除していますが、こちらから過去の記事を一部ご覧いただけます。

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